見出し画像

表現していい、どんな内容でも

小さい頃から眠るのが得意じゃない。友達の家やキャンプでは一睡もできないこともあったし、逆に眠っているところを起こされると世界が恨めしいくらいに機嫌が悪くなる。どんなに楽しみな日でも、出席必須の授業でも、起きれないときはどうしても起きれなかった。

昨夜は眠る前に過呼吸を起こした。息ができなくなるのは流石に苦しくはあるけど、よく聞く「このまま死んでしまうのではないか」という恐怖感は不思議と全くない。単に発作の経験が多いだけかもしれないけど、多分最初からこんな感じだった。


Eminemの「Lose Yourself」をさっき買って聴いている。音楽に詳しくないわたしでもさすがにこの曲は知っていた。ヒップホップは苦手だったので、まさか買うとは思わなかったけど。

彼の音楽を聴くようになったのは英語の発音の話がきっかけだ。英語好きな友達と話していて、Eminemは英語の発音がきれいだよ、とおすすめされた。でもヒップホップは昔からあまり好きじゃなかったので、「メロディアスめの曲があったらそれがいいな」とリクエストして、おすすめされた「Mockingbird」を買った。切なくて寂しげなメロディは好みだったけど、昨日歌詞を読んだらますます切ない気持ちになった。

もともとわたしは熱く歌い上げるようなシンガーが好きで、わたしもそういう曲を歌うのが好きだ。ポップな曲の合間にラップが入るとカラオケでいつもどうしていいか分からなかった。


でもヒップホップと思いがけない出会いをした。去年の冬くらいからずっと聴いているラジオ「菅田将暉のオールナイトニッポン」で、話のネタに上がった日本人のヒップホップユニット「Creepy Nuts」を知って、彼らのラジオも聴くようになったのだ。

Creepy Nutsのラジオは本当にいつもテンションが異常に高くて、下ネタを話し込んだり、どうしたらもっと売れるかな〜と有名アーティストに「吠えて」みたり、かと思えば熱くヒップホップについて語る。彼ら自身はいわゆる「不良」ではないという自覚があり、そんな自分たちがヒップホップの世界に足を踏み入れていいか最初は悩んだそうだ。それでも今は「不良ではないけど社会不適合者」としての世界観を響かせる。彼らの曲はメロディが豊かで聴きやすいと思った。「よふかしのうた」はつい口ずさみたくなるし、どのMVもおもしろい。

他の曲も色々聴くようになり、好きな曲はたくさんあるけれど、「生業」は聴くタイミングによって自分の感情が双極に揺れる。ラジオを聴いていると二人はいつも愉快で「馬鹿だな〜ww」なんて笑ってしまう。でもターンテーブルとマイクで彼らはガラッと別人に変わるのだ。

自分自身がアーティストになってからは、あらゆることが変わってきた。商業制作を全くしていないのでお金はないし、必死にしがみついてきた社会に適応できる方法がもう見つからない。イラストレーターで働けていたときにやっと掴みかけていた社会と繋がれた感覚を断ち、自分の「生業」と決めたアートの道を行く。茨の道だと覚悟して決めたのにしょっちゅう苦しくなる。「生業」を聴いて奮い立たされるときもあるし、わたしにはアートなんて生業にできない、と苦しくなるときもある。

ヒップホップが苦手だったのは「dis」の要素も大きかった。バトルでは特に相手を痛烈にdisるし、曲の中でも特定の誰かや社会に怒りをぶつける。「そんなに言わなくても」と思っていたし、直接的な表現を叫ばれると怖くて耳を塞ぎたくなる。

だけどEminemしかり、Creepy Nutsしかり、必ずしもそれは他者に向けられているものばかりではないのを知った。自分のやるせなさや悲しさ、社会に適応できない苦しさを歌いながら、それでも生きようとするマインドは、音楽のジャンルは違えど、わたしの愛してやまない鬼束ちひろと近いように感じるところがあった。


つい先日、ふとEminemってどんな人なのかが気になってWikipediaを見てみた。彼は壮絶な幼少期を過ごし、唯一ヒップホップが拠り所と感じた。そして黒人が優位のヒップホップの世界に飛び込む。いじめも経験し、友達もいない、家では母親にひどい仕打ちを受ける。そんな彼の生業であって居場所なのは当時も今もヒップホップしかないのだろう。

Eminemはあらゆる著名人をdisりまくっていて、裁判沙汰になるのもしょっちゅうなのだという。自分の母親もdisの対象になったそうで、その結果、訴えられて彼はお金を払うことになったらしい。自分や他者、社会への止まらないdis。それは絶えず批判されるだろうし、美しくはないのかもしれない。でも、表現し続けないと彼はそれこそ死んでしまうんだろう。

そんな彼の自伝映画「8 Mile」のタイトルの意味は、彼も暮らしたアメリカのデトロイトにある、貧困層と富裕層、白人と黒人を分けるストリートのことだそうだ。Eminemはそれを超えた。Creepy Nutsは「不良じゃない社会不適合者」としての音楽を鳴らしている。誰もが多かれ少なかれ自分や社会に怒りを抱いている。それを表現することにどれだけ勇気が要るか。でもそれが誰かを勇気づける。


今になってCreepy NutsとEminemの音楽と出会ったことに巡り合わせみたいなものを感じる。わたしは「もっと自分の思いを表現したい」と思いながら、いざアートの世界に飛び込もうとしても足がすくんでいた。未だに飛び込みきれていないと思う。

別に誰かを傷つけたいわけでもないし、できたら幸せな生活を送りたい。でも心の奥にどうしても満たされない部分を抱えながらわたしがつくってきたものは、そのつらさに嘘をついていなかったと思う。もっと踏み込みたい。8 Mileをわたしも超えたい。今の自分の生業で。

そういえば、今まで絵について書く時「絵を描く」という変換にするように心がけていた。イラストレーターとしての些細なプライドだった。でも今朝、アーティストとしてどう生きたらいいのだろうと調べてメモしていたノートを見返したら「絵を書く」と書いていて驚いた。こんな間違い、一度もしたことがない。それでもその文字は自分に何かを訴えているのかもしれないとも思った。


昨日はオンライン英会話で同じくアーティストの先生と色んな画家について語り合った。日本でしょっちゅう展示があるルノワールも、最初は「人の肌に紫を使うなんて死肉のようだ!」と酷評されたこと。キュビズムが有名なピカソは幼少期から飛び抜けた画力を持っているのだけど、それはあまり知られていないこと。レンブラントが生涯、自画像を描き続けてそのときの彼自身の心境を表現し続けたこと。それぞれどう感じるかを話した。

ふと気づいたらレッスンの制限時間の残り17秒になっていて、慌ててあいさつをした。ほとんどの先生とのレッスンは2〜3分前にだんだん話題が尽きるので「今日は何か予定があるの?」とか「また話そうね」という感じで終了する。残り17秒になるまで気づかないほど語ったのは初めてだし、ブロークンなわたしの英語を改善していきたいな、なんて思っていたのに、熱量がこもってしまってブロークンどころの話ではなくなっている。

これからフランス語もできるようになろう、と勉強を始めたところなのに、何をしてるんだろう。残り17秒では手を振るくらいしかできなかったので、先生にメッセージを送った。「すっごい楽しかったのでまた語りましょう!」と言うと、先生は「今度はモダンアートの話をしたい!Banksyについて君はどう思うかを聞きたいよ」と言われた。Banksyもまた、常に社会に問いを投げかけ続けるアーティストだ。顔出しなしでドキュメンタリーに応じたことは知っていたのだけど、見たことがなかった。先生は見るべきだとURLを送ってくれた。

昨日は文房具屋さんに行った。時々、無性にノートが欲しくなるときがある。今もたくさんノートは持っているし、買ったところで他のノートが使えなくなってしまうかもしれないのに、吐き出したものを受け取ってくれるものとしてもっと欲しくなってしまうのかもしれない。

スケッチブックのエリアを見たら、ふと自分が長い間、画用紙に触れていないことを思い出した。家にあるクロッキー帳も最近はほとんど使っていない。iPad Proがあるからすぐにどんなタッチも出せるのだけど、それは「水彩風」「油絵風」であって、デジタルは便利だけど画材の感触をまた味わいたいと思った。

学生時代はいつも鬼束ちひろの音楽を聴きながら絵を描いていた。外を歩いていてもイヤホンをしてほぼ必ず何かを聴いている。音楽で自分をこの世界から断絶しないと耐えられない。自分の聴きたい音楽の世界を広げてくれたEminemとCreepy Nutsの曲を、これからしばらくはくり返し聴くのだろう。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

わたしの表現で何か琴線に触れることがあれば、ぜひ応援していただけると嬉しいです!

きっと生きてまた会えますように
28
Artist, JPN よくしゃべる芸術家です。生きづらい民。趣味は外国語と歌です https://instagram.com/minakomasubuchi_jpn
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。