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お母さん、そんな「大丈夫」ならいらなかったよ

小さい頃大事にしていたねこのぬいぐるみの話を、カウンセリングで話した。

ほんとうに気軽に「なかなかぬいぐるみが手放せない子どもだったんですよ〜」という感じで、軽い笑い話みたいなつもりだった。持ち歩きすぎて、大好きすぎて、中身の綿が寄ってぐにゃぐにゃになってしまった大切なぬいぐるみのことを、笑いながら説明した。

だけど、わたしのカウンセラーさんはその話を静かに聞くと、思いもよらない問いかけをわたしに、やさしく、でもしっかりと投げかけてきた。

「あなたは、あなたが愛情をかけると、相手はそのぬいぐるみのように崩れてしまうと思っているのではないですか?一人に思いを委ねると相手の負担になってしまう。だから頼る先を分散させる、そう思っているように僕は感じました。」

わたしは面食らいながら、ただ泣くことしかできなかった。胸のど真ん中にびしっと指を突きつけられた気持ちになって、どこにも逃げられない気持ちになった。


週1回で受けているカウンセリング(精神分析)の1週間の間が耐えられず、かといって気軽に専門家でない人に頼ることができない状態なので、わたしは先週どうしても苦しくて、死んでしまうよりマシだと、別のカウンセラーさんに臨時で話を聞いてもらった。

そのことを「申し訳ないな…」と思いながら、冒頭の担当カウンセラーさんに伝えた。

「ほんとうにどうしても1週間が耐えられないんですね。でも、頻度を増やすかどうかここで相談していた段階でしたよね」

と言われ、わたしは更にうつむいた。別のカウンセラーさんに話を聞いてもらったことは今回だけではなかったから、そのことも言われた。でもその前に、担当のカウンセラーさんが勤めている別の場所にも連絡をしたことも話した。

「いつもと違う日にもし僕と話ができたら、何をお話したかったんですか?」

そう言われたとき、わたしはただ「助けてほしい」と縋りつきたかっただけなことに気づいた。さらに、カウンセラーさんが、いつもの週1回の約束を超えてでもわたしを助けてくれることを期待していたことに気づいた。そうでないと、わたしを大事にしてくれていると思えなかったのだ。

そして、それこそが課題だったらしい。

「たとえば週2でお願いできるようになったとしても、多分わたしはすぐ慣れてしまうと思います。そしてもっと話を聞いて欲しくなってしまう気がするんです」

「僕も、そうだと思います。お母様に甘えられなかった、わがままを言えなかった、それを僕に対しても思ってるんじゃないですか?前にお話された、大事なぬいぐるみのように、僕がつぶれてしまうと思って怖かったのかな、と思いました。」


小さい頃、わたしの母は、わたしが熱を出すと病院に連れて行かず、解熱剤も飲ませなかった。看護師である母は「今体内でわるいものを出そうとして熱を出しているから、無理に熱を下げない方がいいのよ」とわたしに言った。何度も言った。

おかあさん、そんなことわたしもしってる。はっけっきゅう、がたたかってるんでしょう?

更に、自然に冷やすのがいいからと、氷水で絞ったタオルではなく、大きなキャベツの葉っぱを冷やしておでこに乗せられた。

これだけ書くとほとんど民間療法で、一歩間違えれば危ないと言われてしまうかもしれないが、母は「自分は看護師で知識があるから、もし子どもの状態がおかしくなったらわかるから大丈夫」と言った。だから安心しなさい、と。

でも、そんな「大丈夫」はいらなかった。

わたしは「看護師である母」に看病をしてほしいわけではなかった。「わたしのお母さん」に看病してもらいたかった。心配してもらいたかった。看護師の資格があるからお母さんが働けて、それで家庭は平和に保たれて、わたしも好きなものが買ってもらえるのはわかってる。

だけど、わたしがそばにいてほしいのは「看護師のお母さん」じゃない。「わたしのお母さん」にいてほしかった。その気持ちを言葉に吸い上げることもできず、小さなわたしは気持ちにぐっと蓋をして封じ込めた。


そんな話を、引き続きカウンセリングで話した。

「そうやって、このカウンセリングをはじめた頃から今もお話されているお母様のことを、話していったらいいのではないですか?」

最初からずっと同じような話ばかりしている気がして、特に変化も起こせず、つらい気持ちを引っ張り出すだけで、変われない自分にどうしようもないと自己嫌悪を募らせていた、けれどやはりここなのか、母なのか、と思った。

これだけ母に対する気持ちが噴出してきているのに、これだけ気づいているのに、まだ母にわたしの生きづらさの鍵があるとわたしは認めたくない。でも、時間をかけて折り合いをつけていくことが、きっとこれからのわたしの人生のために必要なのだろう。


母は今も元気だし、別々に暮らしているけれどすぐに会える距離にいる。だけど、小学校2年生で登校拒否をして出したようなSOSを、大人になったわたしはどうやって出したらいいかわからない。それに「助けて」と登校拒否をしても、母は何も変わってくれなかった。「当時、あなたを助けようと仕事を辞めた」と、母は大人になったわたしに言ったが、わたしは覚えていないし心に何も残っていない。

お母さん、わたしは今、どうしたらいいかわからないよ。お母さんを嫌いになりたくないけれど、このままじゃ生きていくのがつらいんだ。



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お母さん、そんな「大丈夫」ならいらなかったよ

Minako Masubuchi / Artist

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Minako Masubuchi / Artist

Artist, JPN / Artist, JPN 視覚と音楽や文章、感覚全てを使って日本の生きづらさを突き抜けたい https://instagram.com/minakomasubuchi_jpn

コメント2件

こんにちは。
ぼくのノートにリンクを貼らせていただきました。
https://note.mu/gushou/n/n9e1077e26c04
事後になりましたが、ご挨拶を。
愚慫さん リンクありがとうございます^^!
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