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依存とは。やめるにはむしろ依存すること

「自立とは、依存先を増やすこと」

これを聞いた時に、深く頷いた自分と、少し疑問を持った自分がいた。この言葉は、東京大学先端科学技術研究センターで障害と社会の関係について研究する熊谷晋一郎先生の言葉だ。

依存とは、他者や何かによりかかり、それによって自分を成り立たせること。アルコール依存症や、薬物依存症、セックス依存症なども依存のひとつで、日常生活の中でも報道で聞く機会があるのではないかと思う。また、一見して問題が表面化していないけれど、依存に苦しむ人もものすごくたくさんいるのではないだろうか。

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わたしも、依存と付き合っている人のひとりだ。

ものによりかかる依存はあまりなく、人に頼りすぎてしまうことが多かった。特に恋愛関係にある人や、親しい友達などに関して過剰に期待を持ってしまい、かなわないと気分がむちゃくちゃに荒れることが日常的にあった。いつも依存にふりまわされていたのだ。

今、依存から完全に抜けたとは思っていないけれど、人間関係がだいぶ楽になった。それは冒頭の熊谷先生の言葉の通り「依存先を増やす」という方向に行っていたのがきっかけだ。そんな自分に気づいたら、いつのまにか楽になっていた。あとから「ああ、これが依存先を増やすっていうことだったんだ」と思い、すっと腑に落ちたのを覚えている。

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依存は、「この人なら」という期待の気持ちから、すがるような行動をしてしまう。相手の状況を考えず連絡したり、拒否されるとものすごく悲しくなってしまう。自分の感情が、全て依存先によって振り回される。自分の感情なのに、思い通りにならないのがつらかった。

だけど、3年近く受けているカウンセリングで、わたしはあることに気づかされた。実はわたしは依存していても、相手を信じていなかったのだ。

小さい頃、長女だったこともあり上手に甘えることができなかった。本当なら保護者や近しい人にぐっと自分の重みをかけて頼るところを、平気なふりをして過ごしていた。自分の感情にフタをして過ごすことが当たり前になった。根底に「どうせわたしのことを大切に思って愛してくれる人なんて誰もいない」という気持ちを持って過ごしていた。

その気持ちのまま大人になり、カウンセリングで気づかされたのは「ひとりの相手に重みをかけて頼り、信じることの必要性」だった。

依存先を増やすことは、もちろん有効だと思う。だけど、まず自分が自分を大切に思い愛する練習をする必要性が伴ってくるのではないかと思う。わたしは依存相手のことを信じていないまま必要としていたから、「この人もわかってくれない…」という感じで依存先を変えていた。そのことにはあとで気づいたのだけれど、依存先がひとつでも複数でも、信じて向かい合うことが必要になってくるのだと思う。

しっかりひとりの人に重みをかけて依存した経験がないと、複数の依存先があってもひどい寂しさは消えず、複数にいるだけにつらくなってしまいかねない。

信頼は、対象の人にきちんと向かい伝えないと育まれない。それが楽しい嬉しいことだけでなく、相手への怒りや、苦しいことも。

「人に期待しないこと」という言葉も、依存に関して鍵になってくるのではないかと思う。期待しない、ってなんだかすごく冷たい印象を持っていたのだけど、今は違う。それは相手に対する優しさであり、過度な依存を避けることにつながるとわたしは思う。

依存先を増やすこと。

それはとても大事だけれど、依存の苦しさから逃れるためにどんどんと依存先を増やしていないか気をつけたい。依存は、きちんとひとつの対象に依存できてこそ、健全な状態になれるのではないかと思っている。

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Minako Masubuchi / Artist

Artist, JPN よくしゃべる芸術家です。生きづらい民。趣味は外国語と歌です https://instagram.com/minakomasubuchi_jpn

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