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カウンセリング(精神分析)患者が、カウンセラーさんに思うこと

「カウンセリング」って言葉は有名なのですが、それが実際どういうものなのかは、ほとんど知られていないか、誤解を受けていることが多いんです。(中略)カウンセリングに行った人は、あまり自分の体験を人に話したりしないからです。(それはとてもプライベートな体験なのです)。

という文章を「くすりにたよらない精神医学」という本で読んで、確かにそうかもしれないなあ、と思ったので、カウンセリングに行っている患者として何か書いてみたいとこれを書いた。(この本は、タイトルを見て、『服薬必須な患者が読んでいいものか…』と悩んだけれど、とてもよい本でした)

確かに「カウンセリングを受けてるよ」と言うとびっくりされたり、心配されたりする。今、外国では日本よりもっと気軽にカウンセリングを受ける人が多いと聞いたことがあるけれど、日本にしか住んだことのないわたしでも、多くの人にとってカウンセリングは敷居が高いものだということは分かる。心理的にも、時間的にも、金銭的にも。

今、わたしは「自由連想法」という手法のカウンセリングを受けている。認知行動療法から始めて、カウンセラーさんにも思いの丈をかなり話せるようになった頃、この手法を提案されて、もっと自分のことが知りたいと思い、切り替えてみた。カウンセリングにも様々な手法があることをはじめて知った。「自由連想法」は「精神分析」でもあるらしい。

あくまでひとりの患者なので、カウンセラーや精神科医のような知識はない。ただの体験談だ。

わたしの診断は、「境界性パーソナリティ障害傾向がベースの、双極性障害Ⅱ型」であると主治医が教えてくれた。

パーソナリティ障害はむかし診断されたことがあり、双極性障害のことはその後にわかったのだけど、パーソナリティ障害傾向が今でも見られることは先日はじめて知った。

通常、双極性障害のみを発症している人が受けない頻度と手法でカウンセリングを受けているのは、パーソナリティ障害傾向の背景があったらしい。

今のわたしのカウンセラーさんとは、毎週会う形を1年以上続けている。いつも決まった時間に、決まった部屋で、50分という決められた時間のなかでわたしは様々なことを話す。頭のなかに浮かんだ順に、最近あったことで感じたことや、ふと思い出した幼少期のこと、悩んでいること、誰かに聞いてもらいたいこと。それを今、全部話しているのが、わたしのカウンセラーさんだ。

当初「今日はこういうことを話そうと思います!こうこうこうで、こう思って、こうでした!」みたいな感じだったわたしが、最近はずっと俯いて自分の足元を見ながらポツリポツリうつろに話し、ほぼずっと泣いている状態になった。

もちろんカウンセラーさんに厳しいことを言われたりして泣いているわけではない。カウンセラーさんは、好きに話すわたしの話の内容を頷きながら静かに受け止め、時折カウンセラーさんの思いを述べる。(自由連想法はそういう手法らしい)

「今のお話と、先ほどのお話は繋がっている感じがしますね」
「その思いは、お母様に持っていた思いと似ているのかな、と思いました」

それに対して、わたしは考える。自分がなぜそう言ったように感じたのか。その考え方の根本を、頭をひねって言葉にする。ハッと気づき、それが頭のなかで言葉になって、言葉が口から出てくる。そのときわたしの目からは涙がこぼれ、手足が寒くもないのに震える。わたしはこんなことを考えていたのかと驚き、押し込めていた「自分でも知らなかった自分」の姿に動揺する。

自分がこうであってはならないと思って押し込めていた自分をカウンセラーさんと一緒に引っ張り出す。大きな大きな大根のように協力して引っ張り上げる。その形は自分が思っていた自分とずいぶん違っていて、泥がたくさんついていて、こんなの汚くて誰にも愛してもらえない、とわたしはまた泣く。

そんな自分を受け止められなくて、次のカウンセリングまで悶々と病む。そんな繰り返しだ。これが、年単位で続く、らしい。

「そんなにつらかったらやめてもいいよ」と夫は言ってくれるけれど、一度引き上げ始めた大根を途中で放置することもまたつらくて、わたしにはできない。そのままだとしなびて腐ってしまう。

そんな作業を一緒にやってくれるカウンセラーさんのことを、わたしはとても信頼している。優しく微笑む若い男性のそのカウンセラーさんは、もっと安心して寄りかかってきてもいいんだよ、というようなことを繰り返しわたしに言う。

「僕にどう思われているかとても不安なんでしょうね」
「僕がどんな気持ちであなたの話を聞いているか気になるんですよね」
「僕に大事に思って欲しいんですよね」

まるで口説き文句のようだから、最初は戸惑った。だけど、カウンセリングは患者の葛藤を再現する場であるらしい。親にうまく甘えることができないまま育ったわたしが、甘えることに対する抵抗を取り除けるように、親や大事な人の代わりをしてくれようとしているみたいだ。(これを、転移・逆転移というそうだ)

わたしはがんばっている。甘えるということ、愛されていることを実感する方法がよくわからないから、それをなんとかしたい。ごく普通の家庭に生まれ、愛されて育ったのに、それなのにこれだ。自分でも気のせいではないかと思う。愛されていると思い切れればいいだけのことだと思う。「もっと自信持ちなよ」なんて100回以上言われただろう。でも、それがどうしてもできないで30代になった。

わたしは今日もあのカウンセラーさんのもとへ行き、あの部屋で50分を短いと感じるくらい一緒に過ごす。泣き腫らした目で「帰りたくないです」と泣きながら、決まりなので時間に部屋を出る。そんな患者の対応に、さぞエネルギーがいることだろうと思う。お金を払っているとはいえ、心苦しい。

だから、いつか卒業したい。何年かかるかわからないけれど、今度は別れる寂しさで涙を流してみたい。それを喜んで欲しいし、寂しがっても欲しい。

赤の他人でどんな人かほとんど知らないのに、家族よりもある意味とても近くて、助けてもらっているのに戦友みたいだ。父のようでも母のようでも夫のようでもあり、友達のようでもあり恋人のような不思議な人だ。

どうか、わたしのカウンセラーさんもわたしも、無事に卒業できますように。この大変な仕事をしているすべてのカウンセラーさんが、もっと尊重されますように。世の中の生きづらい人たちが、気軽にカウンセリングを受けられる社会になりますように。

インターネットの片隅から、カウンセラーさんたちに感謝を込めて。

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カウンセリング(精神分析)患者が、カウンセラーさんに思うこと

Minako Masubuchi / Artist

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Minako Masubuchi / Artist

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