見出し画像

空を飛ぶのは少しばかり難しい

古いノートを本棚から取り出して見返した。専門学校時代に使っていたもので、ピンクの表紙はボロボロだ。少し前に家の中で見つけて懐かしく眺めたもの。急にじっくり読みたくなったのだ。中のページには今と変わらない自分の癖字が気まぐれに並んでいて、その中で「潜る」という例えをしている部分があった。

ついこの間noteでも海のことを書いたばかり。ずっと前に「ものをつくることは潜ること」みたいなことも書いた記憶があるし、どうもわたしは水に関する比喩をよく使うみたいだ。それがまさか専門学校生の時からとはさすがに思わなかったけれど。

泳ぐ・潜るという言い回しは、わたしにとって「頑張る・思い切ってやる」みたいなイメージだ。泳ぐのが好きじゃないからかもしれない。体育の授業で習った息継ぎは上手くできず苦しくて、水泳はただの苦行だと思っていた。不安な気持ちから呼吸が浅くなる状態みたいに、泳いでいるときの苦しさも不安に変わるのだ。


水に関する例えが多いなら、「空を飛ぶ」といった言葉を文章で使ったことがあったかどうか考えてみたけれど、多分ほぼないと思う。もし泳ぐのが苦行じゃなかったら、何かを「空を飛びたい!」みたいに例えて書いたかな?と想像してみたけれど、そんなイメージも湧かない。

わたしにとって空は死のイメージで、海は生のイメージだ。それに、空を飛びたいと思ったとしても、たぶんわたしはちょっと難しい。空を飛ぶには、ある感覚が邪魔をするからだ。

「わたしには監視カメラがついているか、二重人格なのかもしれない」

そんなことを中学の頃から割と真面目に思っていた。どうも自分の体に自分が入っている感じがしなかった。いつも周りに合わせて振る舞っていたせいなんだろうと思う。自分の体はそれっぽい動きだけしていて心ここにあらず。自分の視点だけが背後の斜め上にあるような錯覚に陥るようになった。

つられ笑い、つられ怒り。その場所にいるためだけの「共感もどき」を常に誰かに対してしていると、急に心がゾワッと冷えることがよくあった。突然バケツで水をぶっかけられたらこんな感じなのだろうと思い、やはり二重人格なのかと精神科で相談したこともある。でも特に診断はついていない。背後斜め上のその視点はいつもわたしに異常に冷酷で、わたしの振る舞いや外見、話し方などに冷たい言葉を次々投げかけてきた。

だから、もし空を飛びたいなら、その監視カメラのような別人格のようなものを、どうにかしないといけない。


とはいえ飛行機はたくさん乗ったし、物理的に空が飛べないわけじゃないことはわかっている。自分の心が空に飛ぶことに、全く憧れられないだけなのだと思う。


そういえば昔流行った「死ぬまでにしたい10のこと」をわたしも書いてみたことがある。直感のままリストを埋めると、思ってもいないことが書いてあった。「スカイダイビングをしたい」。これなら、飛行機で高いところに持っていってくれるし、海に潜るように空中を泳げる。

「いつかスカイダイビングやってみたいんだよね」と言うと「えっ!怖そう〜!」なんて言われることばかりだけど、空を泳いだら人生観すら変わりそうなくらい、楽しそうだと思うんだけどな。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

わたしの表現で何か琴線に触れることがあれば、ぜひ応援していただけると嬉しいです!

きっと生きてまた会えますように
17
Artist, JPN よくしゃべる芸術家です。生きづらい民。趣味は外国語と歌です https://instagram.com/minakomasubuchi_jpn

コメント1件

「心配性でお節介な近所のおばさん」が俺の近くにはいつもいるよ!笑
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。