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スーパーウーマンじゃなくていい

「あなたはお姉ちゃんだから〜」
下に兄弟ができると「兄」「姉」の役割を親や周囲に意識させられるということを聞くことがある。でも、わたしはそんなことを言われた記憶が全くない。それなのに「わたしはお姉ちゃんだから、しっかりしなきゃ」となぜか小さいながらに真剣に思っていた。

本当は誰かに「お姉ちゃん」を意識させられることがあったのではないかと思うくらい、それはわたしの中で絶対的な感覚だった。だけど、久しぶりに母から電話がきて色々と近況を聞いているとき、母はさらっと言った。

「誰もあなたに『お姉ちゃんらしくしなさい』なんて言わなかったのに、小さなあなたにすごくプレッシャーを感じさせてしまっていたのかもしれない」

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同じように小さな頃から思っていたことがもうひとつある。「母のように、バリバリと働く女性になりたい」ということ。これはずっとわたしの目指す方向だった。だけど成長していくにしたがって、わたしは学校生活や仕事でつまずくことが増え、何をやるにもうまくいかない日々を長く過ごした。母のようになりたいという思いは、はじめて抱いたときはキラキラしたものだったのに、落ち込んでいる時はあまりに遠く見えて、そして自分を追い込むものになってしまっていたと思う。

もう7月半ばだ。
去年の秋から崩した体調は、波はあるものの全くうまく付き合うことができず、好きだったこともできない、ただ寝ているだけの日々もあった。去年の初夏くらいに、母はわたしについて色々と考えさせられたと伝えてきた。以前わたしが幼少期のことを語っているメディアを見た、ということだった。

それもあってなのか、母はわたしが家を離れた時は毎週のようにお茶の誘いをしてきたり、しょっちゅう電話をすることをしなくなった。わたしも母を傷つけてしまったかもしれないと思い、連絡をとることができなかった。

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そんな母からの久しぶりの電話。美容院帰りで、髪の毛もすっきりし、少し一息ついて母に電話をかけた。美容院は家のすぐ近くで、話している間にすぐ家の近くまで来たけれど、話の内容や母の声色から判断して、家ではなく外で一人で話した方がいいと思い、立ちっぱなしで數十分は話した。

知らない間に、母は様々な困難に直面していた。
今まで知る限り、母は何かの困難に出会った時、どうにかして乗り越えようとして、乗り越え続けてきた。もちろん今回も乗り越えようとしたらしい。それでも、どうしても難しい、と。母がそんなことを言うのをわたしは聞いたことがなかった。

母は昔からおしゃべりだ。わたしがお笑いのツッコミのように口を出す場面以外は、淀みなく次々と色々な話をする。思えば、幼い頃からわたしは母の話をよく聞いていた。仕事でのつらいこと。最近の悩み。わたしはただ聞くだけしかできなかった。母も、きっとわたしを頼りにしてくれているんだろうと思い、一生懸命聞いた。

この電話も、母の言葉の音ひとつひとつを聞きとるように聞いた。

眩しすぎて見えなかったものが見えた。わたしの憧れたスーパーウーマンみたいな母だって、当たり前に人間だった。自分から見える母は圧倒的に強くて、少しもくじけることがないように思えたけれど、それは母の努力だけでなく、タイミングや、運や、周りの人など、色々なものが母をサポートしてくれたこともあったのかもしれない。そしてわたしも、きっとそれなりにはあったパワーみたいなものが、色々なもので削り取られてしまう機会が人より少し多かったのかもしれない。自分の弱い部分が嫌で仕方なかった。でも人間はみんな弱いのだと、母の話を聞いて身をもって感じた。

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「わたしもあなたにがんばれがんばれって、そんな方向のことしか今まで言ってこなかったかもしれない」

母が、困難に苦しみながらふと思ったと伝えてきた言葉で、少し泣きそうになった。胸の中の固まった氷が、少し溶け出したような感覚。

困難に直面して苦しかった母は、「いつでも頼ってきていいよ」と言ってくれていた人に何回も相談したそうだ。それでも、「がんばれ」という方向の言葉しかもらえず、すごくつらい思いをして、ふと、母は自分をわたしに置き換えてくれたのだという。

わたしは、「仕事をやめたい」と何度も母に相談していたことがあった。母は、色々な言葉を使ったり、本を貸してくれたりして、乗り切ろうよ、と言ってきた。そのあとわたしは耐えきれずにつぶれてしまった。やめたいと思いながら、やめる勇気がなかった。だから本当は母に「やめてもいいよ」と言って欲しかったのだ。そんな話を少しだけ、母に伝えた。

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母がわたしの欲しい言葉を当時は伝えてくれなかったように、わたしも母をスーパーウーマンのように思っていた。こんなに近くにいるからと、お互い相手のことを分かっているつもりでいたのかもしれない。

母は今もわたしのスーパーウーマンだ。母としては困難に当たって、そんな風に自分を保てないかもしれないけれど、どんなに苦しいことがあっても、生きていける。道はある。たくさんの人がいる。合わないと思ったら逃げよう。自由奔放でいつも父と弟に苦笑いされるわたしたちが、心地よくいられる場所へ。

「ちょうど少し前に話してたんだけどね、気圧で具合が変化しちゃうから、いっそずっとあったかいところに住むのもいいなって話してたの。それこそ外国とかさ、大変かもしれないけど、もしかしたら日本より合ったりするかもよ」
「ああ、そういうのもいいね。わたしたち、自由だからね。」

母が自由だからね、と諦めたような調子で言った。自由は諦めだ。自由な気質だから生きにくいなんて、なんだかジョークみたいなパラドックスだ。いつかわたしが外国に住むなら、母の英語アレルギーをなんとかしなければいけないので、もしかしたらそれが一番大変かもしれないけれど。

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人生を生き直す長い旅をしています。お返しは何もできないかもしれませんが、旅のおともにいただけたらとてもありがたいです。

きっと生きて会えますように
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Minako Masubuchi / Artist

Artist, JPN / 何が出るかな何が出るかな / 生きづらさの末に精神障害診断 / 4歳くらいからピアノ10年、学生時代は体育と英語が得意、数学ダメだけど証明問題は好き https://instagram.com/minakomasubuchi_jpn