あれはアメリカだった

美術の専門学校生活をしていたとき、驚くことばかりの日々だった。様々な境遇の人が集まるところは今までの小中高と同じだけれど、専門学校は全くもって違う場所だった。

同じ専攻の男の子が、ある日、透明のビニールのリュックをしょって登校してきた。リュックにはバナナ1本だけが入っていて、まるで彼本人がアートみたいだと思った。

また他の子も、どんな天候であってもいつも下駄を履いて過ごしていた。「アスファルトを歩くと削れるのが早くて買い換えるの大変だわー」なんていっていた。

どちらにも、わたしは「登校している間に他人に笑われたり、指さされたりしたんじゃないだろうか。なんであの人たちはそれが平気なんだろう」と思っていた。わたしは彼らに比べるとごく普通の生徒だったと思っていたし、個性がないと悩んだこともあった。だけどそんな環境で過ごすことは自覚のないうちにわたし自身も変化させていたようで、日雇いのバイトの現場に行った時に驚くことがあった。

何度か経験した現場だったのだけど、そこで中学の同級生の女の子と再会した。当時仲がよかったこともあり、昔話に花を咲かせながら、ああ懐かしいなあなんて思っていると、彼女はじっと私を見てこう言った。

「…あんた、こんなにバカキャラだったっけ?」

悪意なく放たれた言葉に、一瞬理解が追いつかなかったけれど、「専門行ってなんか開花しちゃったのかもね〜」なんて冗談を言った。そのあとも彼女がなぜわたしを「バカキャラ」と感じたのかが分からず、ずっと考えていた。

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中学生までのわたしは、典型的な「優等生」だったと思う。成績はよかったし、部活では部長とキャプテンを務め、英語のスピーチコンテストに挑戦したり、生徒会に立候補したり。そんな自分は好きだと思えたし、人から評価されることも多かった。真面目だったと思う。

そこから高校や美大受験を経て専門学校に行ったのだけど、専門学校で知らないうちにわたしは「バカキャラ」になっていたのかもしれない。自分で何か突飛な行動をしたことはなかったと思っているけれど、あれこれ面白いことばかりしてくる同級生たちにいつもワクワクして「そのバナナ、食べるの?」なんて聞いていた。突飛に見える行動をする彼らに質問してみると、本人の美学や、生き方が透けて見えて面白い。そんな風に「違い」に対しておもしろがるのはわたしだけではなく、そんな環境がとても心地よかった。

わたしは専門学校で、多分何かに許された。幼少期から規則や人に合わせることができず、子どもながらに試行錯誤して得た「優等生だととりあえず生きやすい」というわたしの処世術は、いつのまにか消え去っていたんだろう。

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わたしは海外に行ったことがない。海外のたくさんの国の知識は、学生のときに習った知識が大半を占めていて、日本以外の空気を肌で感じたことはない。

でも、色々な事情を吹っ飛ばして正直に言うなら、アメリカに行きたい。

日本の方が自分に合っている部分は当然たくさんあるだろうし、アメリカに馴染めるかは分からない。だけど、様々なバックグラウンドの人と過ごすことは、わたしにとって何故かとても心地いいのだ。

ここのところずっと体調が悪い。死にたい思いを振り切るのに必死だ。わたしの英語力で生活できるとは思わないけれど、どこかに逃げたい。逃げるならアメリカがいい。あの専門学校はアメリカみたいだった。この狭いわたしの世界から、逃げてしまいたい。

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