見出し画像

わたしの「踏み絵」は家族のまなざし

歴史の授業で習った「踏み絵」のことを思い出す。わたしにとって「踏めない絵」とはなんだろうか。少し考えてみたけど、答えはわりとすぐに出た。


なんでまたこんなことを考え始めたかというと、友達の桃子ちゃんがやっている活動がすごく面白そうなのだ。早く読んでみたいと思いつつ、待ちきれないので自分も「芸術と魔女」で何か書こうと思った。

(桃子ちゃんに最後に会ったのは数年前?くらいだけど、前に飲んだ時は何故か直前まで富士山に登っていたらしい。フラッフラしながら来たのに、お酒を飲んだら途端に元気になってガンガン喋っていた)

魔女といえば魔女狩り。ジャンヌ・ダルク。

わたしはMilla Jovovichの主演作を学生時代に観たことがある。細かい内容は覚えていないけれど、彼女が作品の中で群衆に叫ぶ

「Follow me!!!」

のシーンは衝撃的だった。あれを観たらTwitterで「気軽にフォローミー☆」なんて使えない。そこで魔女狩りについてわたしの連想はストップしてしまったのだけど、「魔女を炙り出す」に近い(と思う)「踏み絵」のことを思い出した。

隠れキリシタンを見分けるため、キリストの絵を踏ませる「踏み絵」。踏むかどうかはもちろん、踏もうとする様子も観察されるんだろう。足が強ばったり、表情が変化してしまったら、きっと怪しまれてしまう。

わたしは特定の神を信仰していない。とはいいつつ日本は冠婚葬祭で仏教もキリスト教も入り混じっていてややこしい。でももしわたしが「これを踏め」と言われてものすごく抵抗を感じるものがあるとしたら何だろう。


まず思いついたのは愛猫ののりまきさん。

今元気なうちは踏んだらむしろ喜んでスリスリしてきそうなので、いつか亡くなるときが来たら、そりゃ写真は踏めないだろう。だからできるだけ長生きして欲しい。カリカリの適正量を計るのも慣れてきた。


もうひとつは、家族が撮ってくれた幼い自分の写真たちだ。大切なフォトアルバムの中で見つけた。

専門学校の先生からクリスマスにフォトアルバムをもらったことがある。その先生はわたしが学生時代、特にお世話になったと感じている人だ。

先生はアートの仕事で世界中を駆け回っていて、わたしが卒業する前に日本を離れてしまった。その時にくれたフォトアルバムは、1ページ目に先生の入れてくれたクリスマスカードが入っていた。裏には手書きでわたしへのメッセージ。同じ専攻の他の子たちには違うメッセージが書かれていたのかもしれないけれど、先生がわたしにくれた言葉だけが大事だった。


少し前から、もし手元にアルバムがあったら何を入れたいか考えていた。

この家に引っ越す時、父親の車に乗るだけの荷物を詰んで運転してもらい、今の生活を始めた。どうせ近い距離だからと。当時iMacの27inchを毛布で包んで傷つかないように必死だったのは覚えている。本当に最低限の物を持ったので、先生からもらったフォトアルバムは実家にあるだろうと思っていた。でも、今日、探し物の途中で見つけたのだ。

驚いて1ページ目のポストカードを確認する。裏には先生の字だ。その次のページからは、もう中身が詰まっていた。家族が撮った、赤ちゃんから幼稚園児、成人式の前撮り、20代以降のフットサル時代。「写真」はその人の目線がよくわかる。


わたしが赤ちゃんだった頃の写真は、父が撮っていたはずだ。

父は昔カメラ(銀塩)にハマっていて、狭かった当時の実家の一部を暗室にしていた。第一子のわたしは特によく撮ってもらっていたようで、小さい頃に父のネガフィルムを太陽に透かして見た。海で遊ぶわたしが写っているというセピアの色合い。でもフォトアルバムに収められていたわたしは、少しレトロな色合いで、カメラ越しの父に屈託のない笑顔を見せている。

幼稚園時代の写真は、今は亡きおばあちゃんがわざわざ足を運んで撮ってくれていたと思う。幼稚園のお遊戯会で、他の子は大人しく待っているようなのに、わたしは土に落書きをしているようでそれも撮られている。見守るおばあちゃんと母を撮っている写真もある。撮影者がわからない。父かなあ。その中に、当時から意思の強さが滲み出る、幼い弟の写真も混じっていて微笑ましい。


そして、成人式の前撮りは、たぶん最後におばあちゃんと撮った写真だ。

おばあちゃんには孫がたくさんいて、みんなおばあちゃんが大好きだった。夏休みによく浴衣の着付けをしてくれていた。着付けが苦しくて盆踊りもままならなかったけど、おばあちゃんがたくさんある浴衣をわたしの着丈に直してくれたこともあったから、夏の楽しみのひとつだった。

成人式の振袖は、おばあちゃんが特別に全て買ってくれた。レンタルであれこれ見ていたところで、買うなんて選択肢はなかった。どれだけ値段が張ったんだろう。しかも茶道の師範だったおばあちゃんが、半端なものは買わなかっただろうと思う。おばあちゃんは「他の孫たちには買ってないからね、内緒だよ」と言っていた。そろそろこの「内緒」も時効でいいかな〜って今noteに書いてるよ、おばあちゃん。

着付けもおばあちゃんにしてもらいたかったけれど、地元の美容室でやってもらった。「おばあちゃん振袖は着付けできないよ」と言われたけど、あれはおばあちゃんの嘘だったと思う。着付けの人が、自分の選んだ着物と、孫のわたしを見て、どう感じてどう着付けるか見たかったのだと思う。おばあちゃんは前撮りの時に来てくれて、道端で一緒に写真を撮った。母が撮ってくれた一枚だと思う。今この振袖を見返すと「これわたしに合ってたのかな?」と思うくらい、自己認識と違ったタイプの華やかな振袖だった。でもわたしの隣にくっついて写っているおばあちゃんは満足そうだ。

成人式自体は、頬に大きなニキビができてしまったし、懐かしい同級生に会えたけどとにかく疲れたことしか覚えていない。


おばあちゃんが選んでくれた振袖で写っている写真は、iPhoneのカメラロールにも入れておいた。大事な写真すぎてインターネットには上げられない。フォトアルバムにはまだ空白のページがある。残りは何を入れようかなあ。


わたしにとってのたくさんの「踏み絵」が詰まったフォトアルバムをつくろう。眠る時には棺桶に、災害のときはこれだけを持つよ。


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

人生を生き直す長い旅をしています。お返しは何もできないかもしれませんが、旅のおともにいただけたらとてもありがたいです。

きっと生きて会えますように
15

Minako Masubuchi / Artist

Artist, JPN / 何が出るかな何が出るかな / 生きづらさの末に精神障害診断 / 4歳くらいからピアノ10年、学生時代は体育と英語が得意、数学ダメだけど証明問題は好き https://instagram.com/minakomasubuchi_jpn
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。