マイドキュメント

青写真に青信号を

「青信号は緑なのにどうして青って言うの?」

横断歩道を渡った後、ドイツから来た友人が笑って言った。「確かにあれは緑だけど、日本に住んでると青って思っちゃうんだよね」と返すとまた笑っていた。

会うのは確か3回目。ランゲージエクスチェンジ(お互いに学びたい言語を教え合う)のパートナーとして知り合った友人は日本語の勉強を続けている。友人の日本語は前に会った時よりかなり滑らかになっていたし、英語で補足することも少なくなった。お互い日本語で話せてしまうので、わたしは頑張って英語を使わないと、と何故か気張って、信号の話も英語で答えた。


こんなとき自分の好奇心の強さは不誠実に思えてくる。

今日もフランス語とエスペラント語をアプリで学ぶ。洋楽や英語ネイティブのPodcastも意味が伝わってくる箇所は増えたけど、わたしの英語は虫食いのニットみたいだ。むしろわたし自身が穴だらけな感じもする。

ニットより、破れた障子みたいなんて例えたほうが、外国から来た友人には喜ばれるだろうか。加えて、もし障子が破れたら花の形に切って直したりするよ、なんて言ったらまた笑顔になるかもしれない。わたしは日本にずっと住んでいるのに、障子のある家がなかったので、花の補修を見たことがない。こんなに美しくてクリエイティブな手法なのに。

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最近、自分の中の色相環が、青系に寄ってきたなと思う。

昔から、身に付けるものも含めて赤系が好きだったし、気をつけて服を選ばないと全身が真っ赤になってしまうくらいだった。ネイルもいつも赤か紫。

転機の中で大きかったのは、夏に髪色をブルーシルバーにしたことかもしれない。ブリーチを何回も重ねていたけれど、上にアッシュ系を重ねてもすぐに落ちてしまっていた。でもブルーシルバーは、青から様々な変化を見せてくれて面白い。

今月また美容院に行くので、ブルーシルバーはかなり気に入ったもののリピートするか迷っている。でも、今振り返って青かった頃の写真を見ると、魚の「ベタ」みたいだと思った。

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よくビンなどに1匹入れて売られているベタ。鮮やかな色をしていて美しいけれど、1つの水槽につき1匹しか飼えないと聞いたことがある。他のベタを入れると、どちらかが死ぬまで戦い合うからだ。

今朝、iPadProで絵を描いてInstagramにアップした。Adobe Frescoに印象派の画家のタッチを模したブラシがいくつかあって、セザンヌとスーラのブラシをベースに、パステルのブラシなどで遊んでいた。様々なニュアンスの青に効かせるならやっぱり補色の黄色だろう、人物を描く気分じゃないなと、レモンを描き足すことにした。

「あんなに暗い曲なのになんで未だに歌われてるのかわからない」と米津玄師さん本人が言っていた「Lemon」の歌詞を拝借してコメントに添え、ハッシュタグをつけた。likeの通知が来るたびにプロフィールを覗きに行くと米津さんのファンの人の割合が多くて、なんだか申し訳なくなってしまった。

今日はたくさん話して、いつもより歩いたのですっかり疲れてしまった。クタクタなのに、夕食を取りながら見ていたTVで気になることを見つける面倒な癖。バラエティーで「青写真はあるんですか?」と言っている人がいて、ふと由来を知らないなと思った。人生の設計図みたいに使われるけれど、なんで青写真なんだろうか。

すぐに調べてみたら、青写真は、本来は写真・複写の技法のことらしい。銀塩の科学反応を利用すると、光の明暗が青の濃淡で表現される。機械図面や建築図面の複写(青図)に多用されたことから、設計やビジョンみたいな意味で使われるようになった言葉だそうだ。

銀塩というと父のエピソードが思い出される。幼い頃から父はよく写真を撮っていて、最初に住んでいた家では、廊下の一部をなんとか改造して暗室にしてまで現像もしていたそうだ。

そんな父から受けた影響は一体いくつあるだろう。英語もそうだし、父がパソコンを持っていなかったらわたしはあんな早い時期にインターネットに出会えなかった。通信教育で精密画の講座を受けていて、水仙を細いシャープペンシルで筋の1本1本まで描いていたし、狭かった家の中でここが一番音が響くからと、いつも階段に座り込んでギターの弾き語りをしていた。引っ越しの時に大変だったのは、父の部屋の本がダンボールいくつあってもおさまらなかったこと。

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ネイルもあまり青ばかりでもなあ、と悩んだ末、前に好きだった紫を左手の親指に塗った途端に違和感をおぼえた。きっと全部この紫にしたら気持ち悪くなってしまう。ネイリストさんがよくやってくれたように、2色にしようと思い立った。青と交互に塗ると、やたらビビッドな手元になった。しかも明度も彩度も狙ったように揃っている。


今日の友人だけでなく、ドイツには何かと不思議な縁を感じることが多い。友人とふたりで川辺の石に座りながら話している時、ドイツ語を学ぶのは難しいかと聞いてみた。たとえばフランス語と比べるとどうかな?というと、友人はフランス語の方がいいかもねと言った。父も同じようなことを言っていた。

父は大学でドイツ語を学んでいたことがあった。わたしも小学校のときに「喜びの歌」をドイツ語で歌っていたことがある。3年生のときの担任の先生が、カタカナで歌詞を書き、スマイルマークを添えて藁半紙に印刷してクラス全員に配ったのだ。今も覚えてるよ!と父に会った時に歌ったら「少し違うかな」と言われたけれど、せめてこの歌くらい綺麗な発音で歌えるようになったら、もどかしい気分は変わるだろうか。


人生の青写真は何回も描いてきた。でも度々アクシデントが起こるばかりだったので描き変えざるを得なかった。そもそも描けないことも少なくない。そういえばわたしが使っているカメラ、富士フイルムのx100fはクラシックな見た目をしていて、絞りやシャッタースピードをアナログで動かせる。銀塩も触ってみたい。でも今の家で現像するのは流石に難しそうだから、せめてx100fをたくさん使おうか。

青信号で歩き出す人たちに背中を押されるように進みたくない。混んだ場所は嫌いだ。自分の歩く方向くらい、自分で決めさせてくれ。

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きっと生きてまた会えますように
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Artist, JPN よくしゃべる芸術家です。生きづらい民。趣味は外国語と歌です https://instagram.com/minakomasubuchi_jpn
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