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身近なところから違いに慣れる練習をしよう

相変わらず多様性について考えている。どうしたら日本社会で「違い」に対してフラットでいられるのか。

その中で思ったことは、多くの日本人が「多様性を受け入れよう!」と頑張りすぎてるんじゃないかと。


例えば、わたしの親友は純日本人だけど白米があまり好きじゃなくて、塩を振って食べる。それを人に話すと「えぇ?!」みたいな反応をされることも多いらしい。わたしがあえて「純日本人だけど」と書いたのは、おそらく多くの日本人が、無意識的に「日本人はみんな白米が好き」って決めつけているのではないかと思ったから。

ただ、これが「ピーマンが嫌い」とかだと、「わかるー!子供の頃嫌いだったー」みたいになるんじゃないかと。少なくとも、白米よりは理解しやすいだろうと思う。ピーマンが嫌いな理由は想像しやすいし(あの苦味だろうな、みたいな)、食べ物の好き嫌いという視点では、白米が嫌いな人よりはピーマンが嫌いな人の方が多いだろう。

そうやって考えてみると、普通に暮らしていても「違い」に触れる機会はたくさんあるはず。

白米が苦手な親友は、レストランで食事するとき、白米なしでおかずだけ食べたりする。これはわたしの想像だけど、親友はもしかしたら白米をできるだけ食べたくないのかもしれないと思う。でも理解できないという反応をされるのがつらいから、「あまり好きじゃないけど」という言い方をして、かつ塩を振るという方法で、なんとか多くの日本人が好きな白米を食べなきゃ、としてるんじゃないかと。これだって同調圧力と言えると思うし、違いに慣れていない人が多いということなんじゃないか。


わたしは精神疾患を持っていて、かつカミングアウトして良かったと思うタイプなので、自分の精神疾患についてどうやったら分かりやすくなるか考えるのが好きだ。これは完全にわたしの性格だと思うので特別なことではないのだけど。よく言われるように「精神疾患や、精神の悩みごとは目に見えないからわかってもらえない」っていうのは悲しいけど本当にそうだと感じる。逆に身体障害など、人が見てわかるものを持っている方は、見えてしまうというつらさがある方も多いのだろうと思う。

多様性を受け入れよう、という話でいうと、日本人の多くの人が、わたしのような障害者のことを理解しなきゃ!とかいきなり頑張りすぎてる気がしている。自分が体験したことのない、想像もできないことをいきなり受け入れるのは、誰だって難しいと思う。更に、繊細なものであったりもするので、なおさら難しい。

だから、まずは白米が苦手な人がいるんだ、ふーんそうなんだー、っていうところからはじめるのがいいんじゃないかとわたしは思う。

もし理由を聞けるなら(相手が嫌でなさそうなら)聞いてみるといいと思う。理解できることもあるかもしれないし、ないかもしれない。むしろ理解しなきゃ!と思わなくて良いと思うし、まずは慣れることからかなぁと。新鮮な価値観に出会えてラッキーと思えるかもしれない。


昔、「ダーリンは外国人」がすごく好きで何作も買ったのだけど、作者さんは日本人で、旦那さんは色々なルーツがある外国人。一緒に過ごしているとたくさん発見があって、ええ?!そこでそんなにショック受けるの?!とかエピソードがいっぱい出てくる。でもそれは外国人だからかなのかというと、ただ単に本人の性格だったこともあった。

本の中で、読者からの体験談が載ってるページがあって、印象的だったことがある。日本の女性と結婚したバングラデシュ(だったと思う)の男性が、白米に塩を振っていてびっくりした、ということ。それはその男性なりに日本文化という違いを受け入れたかったからなのかなと思う。(もともと外国でそういう文化がある国があるのかもしれないけど)

わたしの親友も白米に塩を振る。それは多分、親友にとっては白米をそのまま食べる方が、本人の中で「違い」だから振るのかもしれない。


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Minako Masubuchi / Artist

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