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「障害は個性」?

障害を巡る話題で、よく聞く言葉だ。主にメディア。パラリンピックや障害に関するドキュメンタリー、障害者が出演するCM。

わたしはこの言葉にずっと違和感をおぼえている。もちろん、障害者本人が自分の言葉で言っているなら、わたしがどうこう言うことではない。でも、TVのキャプションや障害を巡るキャッチコピーで障害を「個性」と表現されるのはかなり雑なんじゃないかと思う。

そもそも、障害者といったって、様々な境遇の人がいるのだ。身体障害者や精神障害者、知的障害者。人によって程度も違うし、生活も違う。「個性」と言っていられないほど苦しい状況にある人だっているし、障害認定されなくて公的援助などが受けられず苦しい人たちもいる。


「障害が個性」という言葉が使われるシチュエーションは、障害を持ったアスリートに関することが多いとは思う。競技をしていく上で、障害があっても自分の身体をうまく使えるようになれば、それは確かに「個性」と捉えられる話なのかもしれない。だけど、自分自身の障害を個性だと言っているアスリートだって、たくさんの苦労があったに違いない。その苦労や苦難への敬意が、どうもわたしはメディアから感じられない。

一度、ふと「なんで精神障害者はパラリンピックに出られないんだろう」と思ったことがあった。わたしは精神障害者のひとりで、身体を動かすことが好きだ。精神障害についてもっと知ってほしいという思いもあるし、競技に取り組むことが自分の治療にもいい効果を生みそうだとも思った。大会に参戦できたとしても、障害の特性上、いいパフォーマンスをするのは難しいかもしれないけれど。

それにわたしは、誰かに自分の障害や困りごとを「個性」だなんて言葉で片付けられたくない。今まで自分の性質に散々手を焼き、うまくいかない人生に絶望しながら35年生きてきた。障害と言われて、その内容に納得はしているから、自分は障害者だという自覚もある。それでも、健康に過ごしたいに決まっている。やりたいと思ったのに心身が言うことを聞かなくて絶望するのも、関わる人達を困惑させ続けるのも、何の気力も起きずに眠り続ける日々も、もうたくさんだ。

それでもこれを「個性」と呼ぶのだろうか。その個性にわたしは押しつぶされそうに生きているのに。


今までもわたしは自分の障害についてたくさん文章を書いたり話したりしてきたので、「個性」とは言わずとも「ポジティブに捉えている」という言い方はたくさんしてきた。それでもいつだって肯定的に捉えられるわけじゃない。健康な人だっていい日悪い日がある。それと何ら変わらない。

双極性障害2型、HSP / HSS、人からよく言われる「感受性と共感性が高すぎる」という言葉。それらを、アーティストになった今はフルに生かして表現に繋げたいと思う。でも自分の吐き出した闇にますますやられることもあるし、どうしてもこの世界は生きづらい。過去のたくさんの著名人が精神疾患を持っていた、という情報はものすごくたくさん見かけるけれど、それはわたしを救うどころか追い詰めるだけだ。この生きづらいままで何も成せない人生を、1日でも早く変えたい。変えることができないなら、終わらせたい。葛藤の中の日々は苦しい。


「障害は個性」という言葉は、やっぱりわたしは好きになれない。言っている人を見ても羨ましくなってしまう。だけど、一番腹が立つのは第三者が無責任に言い放つことだ。言うなら、困難を持つその人の気持ちを、言葉を汲んで言って欲しい。人の困難を、勝手にレベル分けしないでくれ。

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Artist, JPN よくしゃべる芸術家です。生きづらい民。趣味は外国語と歌です https://instagram.com/minakomasubuchi_jpn

コメント1件

「人からよく言われる「感受性と共感性が高すぎる」という言葉。それらを、アーティストになった今はフルに生かして表現に繋げたいと思う。」に感動しました。私は自分にその恐れがあると気付いた時にアートから目を背けた人間なので。応援します。
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