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誰かの「他者」でしかない自分

大会などで賞を取ったり、目標を達成した人が「嬉しいというより、ほっとしたって感じ」と言うのをよく見かける。何かのために全てを賭けてきたからこその言葉なのだろう。わたしはそんな言葉を口にしたことがあっただろうか。

以前、わたしから見たらすごくできることがたくさんある人が「こんなことを自慢してもなんの満足感もない」と言っていたので、どういうことなのか聞いてみた。適性があったりして「するっとできてしまうこと」に対して「天才」だの「才能」だの言われたりしても何とも思わないし、妬まれても面倒くさいだけだと言っていた。

確かにそれはそうだろうなと思った。わたしもデザインやイラストなどに関わってきたので、やれ才能やら感受性やらは死ぬほど言われた。逐一「努力で積み上げるものなんですよ」と言ってきたけれど、わたしのレベルでも言われるんだから、活躍してる人達なんか不機嫌をぶつけそうなくらい言われるんだろう。


今日髪を洗うと、ずいぶん青みが抜けて、銀髪っぽくなってきた。「HUNTER×HUNTERのゾルディック家に入れそう」なんて冗談を言いながら、鏡に写る自分の髪色の不思議さに感心していた。次回もこの色にしてもらいたい。ゾルディック家は暗殺を生業にする家族で、代々過酷な英才教育が行われるらしい。毒耐性をつけたり、電気耐性をつけたり。

わたしの場合、人生で一番早くに「教育」を受けたのはピアノだと思う。お絵かきと順序が怪しいところだけれど。先週、実家にあった電子ピアノを持ってきてもらい、ソラで弾ける(暗譜している)曲を何回か弾いてみた。辞めたのは中学生か高校生のときだけど、当然ながらそのときから成長していない。相変わらず同じところでつまづく。

3〜4歳くらいから楽器、特にピアノを習うと脳には様々な効果があるらしい。目で見て、耳で聞きながら、両手指を複雑に動かすからだ。わたしの両親はわたしや弟が「これやりたい!」と言うとかなり受け入れてくれる人たちで、逆に何かを強制されたことはない。ピアノも、2歳や3歳のわたしが近所のお姉さんがピアノを弾く姿を見て「やりたい!」といっただけだ。

そんな小さな頃から弾いていたピアノだったのに、毎週の練習は教室に行ったときに弾くだけだったし、発表会で弾くのは大好きだったけれど、部活や美術などやりたいことができてやめてしまった。今になってときどきYouTubeで「ラ・カンパネラ」や「幻想即興曲」を弾くピアニストたちの動画を見ることがあるけれど、続けていればわたしにもこんな素敵な曲が弾けたんだろうか。


自分の音楽が欲しいと思う。

気分に合わせて音楽をあれこれ変えることはよくあるけれど、自分にしか歌えない曲が欲しい。わたしはただ音を鳴らすだけの楽器みたいな感じで構わない。今日歌った、Do As Infinityの「柊」が染みる季節になってきたなあと録音を聴きながらしみじみする。

僕たちはあやまちを犯す
僕たちはすぐに立ち止まる
すべてを受け入れるほど強くない
はしゃいでた街の沈黙
果たせない二人の約束
触れてしまえば消える 雪のよう

こんなにもぼろぼろで35年間生きてきて、もうそろそろ疲れたな。

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きっと生きてまた会えますように
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Minako Masubuchi / Artist

Artist, JPN よくしゃべる芸術家です。生きづらい民。趣味は外国語と歌です https://instagram.com/minakomasubuchi_jpn
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