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誰もわたしを見ていない。孤独ではない、孤独感。

整体で腰の硬さを指摘されたことがある。整体師は、「これは痛覚が麻痺してしまっている状態だから、本当はこの腰は悲鳴を上げているけど気づかないだけだよ」と言った。そしていつか痛みを感じ始めると、爆発するように痛くなるよ、とも。

整体師に言われた腰の痛みは未だに麻痺しているらしく感じることができないが、整体師が言ったことと似たようなことが、心の中で起こっている。


心は硬くなったり柔らかくなったりするものらしいと気づいたのはここ数ヶ月くらいのこと。毎週、出来事や感情を心理士に話していくと、幼い頃から自分の心をどれほど抑圧して、硬くしていたかやっと感じられるようになってきた。今たぶん、わたしの心はとても柔らかくて傷つきやすい。

必死に塗り重ねてきたメッキが剥がれるように、「しっかりしたお姉ちゃん」だったわたしは、もうそんな風に振る舞えない自分がつらかった。しっかりしていない自分に戸惑って、やめたくて仕方なくなってしまっていた。

自分を好きになれないことも、それを他人に補ってもらおうとしている自分にも、他人に過剰な期待をしては裏切られたと傷つく自分にも、めんどうくさい気持ちでいっぱいだった。

だから、もう、消えたかった。


社会の中で生きていると、人はその中で様々な役割(ラベル)を持っていく。

わたしは、イラストレーター、30代、女性、妻…と、ざっとこれくらいのラベルを持っている。TPOに合わせて、わたしはそれぞれのラベルの自分を取り出す。時には複数のラベルの自分を出す。でも、ラベルのないわたしを見ようとしてくれる人はいないように感じて、いつも寂しく思っていた。

頭がどうにかなりそうだった。

もっとラベルを超えてわたし自身のことを見て欲しくて、でもそんなこと誰にも要求できなくて。きっとこれが本当は母にして欲しいことだったんだろう。「しっかりしたお姉ちゃん」じゃなくて。


もちろん、あれこれ試行錯誤してみた。でも、周囲の人とも、精神科医や心理士や、果ては同じ病気の人と交流してもなお、誰にも分かってもらえない気がしてしまった。すごく孤独を感じていた。本当は孤独なんかじゃなくて、大切に思ってくれる、見守ってくれる人たちが周りにいることも理解しているのに。

「孤独」はつらくて寂しい、でも、「孤独じゃないのに孤独を感じる」のって、どうしたらいいんだろう。きっと自死に至ってしまう人の気持ちって、こんな感じなのかもしれない、友人たちに囲まれ、幸せそうに見える人だって、もしかしたら孤独感を抱えているのかもしれない。ラベルの自分しか見せられなくて、苦しいのかもしれない。

誰もわたしを見ていない、と思った。

そしてただ消えてしまいたい気持ちで何も手につかないことが頻繁にある。せめて自分だけでも、本当の自分の姿を嘘偽りなく見つめたい、と思う。それがどんなに汚く、どんなにとんでもない自分でも。


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Minako Masubuchi / Artist

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Minako Masubuchi / Artist

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