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カラーパレットを作ったのは自分なのに

もし、ランドセルの色を自由に選べる時代に生まれていたら、と思うことがある。

わたしが小学生に上がる頃は「男の子は黒」「女の子は赤」みたいな時代感で、ときどき水色やピンクのランドセルを嬉しそうに背負っている子がいた。そんな子たちは、同級生たちからは「不思議な子」と見られていたような気がする。

水色のランドセルを選んだ子のことはよく覚えている。長い三つ編みに、きょろっと動く大きな目。確か同じピアノ教室に通っていた。わたしは「水色のランドセルは珍しいけど、なんだかこの子には似合う気がする、わかるかも」くらいには思っていた記憶がある。

でもその子はいなくなってしまった。引っ越しだったか、何だったか。今どこにいるのだろうか。水色のランドセルは、彼女に何をもたらしただろうか。


わたしは赤いランドセルを見たとき「赤は嫌いじゃないし」くらいに思った気がする。もしかしたら溺愛されていたおばあちゃんからプレゼントされたランドセルが赤だったのかもしれない。あまり記憶にない。

近所の友達と同じ種類のハンガーラック…?みたいなものをおそろいで買ったけど、友達がピンクでキキララの絵が入ったものを買ったのに対して、わたしは赤のキティちゃんの絵柄のものを買ってもらった。

「ピンクより赤」を選んだ理由が「キキララちゃんよりキティちゃんが好き」というだけだったのかもしれないけど、さすがに覚えていない。

そんな小話はありつつも、わたしの時代感では「女の子は赤」だったので、他に色があると知っていたとしても、赤以外を選ぼうとしたか分からない。


今はたくさんの色のランドセルがあると聞く。チェック柄みたいな模様があったりもするとか。わたしが小学生に上がるタイミングはそんなバリエーションはなかったけれど、今の若い世代(〜10、20代くらいかな?)はたくさんの種類があることで逆に迷う、という声も聞いたことがある。働き方、生き方もそうらしい。わたしの喉…むしろ心臓から手が出るほど欲しかった「選択肢」。どんな状況でもみんな迷うのだなと思った。

子どもだったわたしだって、たくさんの選択肢があったらきっと迷っただろう。人と比べて「わたしもピンクじゃないとダメかな」などと迷ったと思う。

でも、35歳の今、あえて迷ってみたい。ランドセルはさすがに使う場所がないけれど、迷う余地がなかったわたしには迷うことが必要だと思う。


「女の子のランドセルは赤」「不登校児は難しい子」「新卒カードは重要」という言葉に加えて「石の上にも三年」「神様は乗り越えられない者に試練を与えない」みたいなあの頃の空気感の中で、迷うなんて考えられなかった。ただ頑張る、ということができなかったのに「ただ頑張る」以外の方法を知らなかった。

実際わたしは赤いランドセルを選び、不登校児になり、新卒で会社員になれたものの半年も続かず「石の上に三年」もできなかったし、あれは「乗り越えられる試練」だったのかというと、わからない。過去には戻れないし。



商業イラストを中心に描かせてもらっていた頃、色選びで悩むことが多かった。「男か女か」「大人か子供か」みたいなレベルでも、だ。厳密にはもっと細かい個人の事情や好みがあるだろう。でもどうしてもわかりやすくした方がいい場面は多かった。仕方ないのは分かっている。

この子は「女の子」だから「赤系」で「やわらかい色合い」と決めてしまって良いのだとは思う。でももしその子が、青が好きだったらわたしは青を塗りたい。青で、その子に似合う感じにしたい。でも、わたしにはそこまでの力がないことが多くて悔しかった。

それでも個人的に依頼される似顔絵を描かせてもらう時「好きな色や小物があれば教えてください」と聞いて、その人の「色や小物に関する思い」を教えてもらえるのが嬉しかったし、どうにかこうにか「その人の好きな色や小物」を活かそうとして描いた結果、喜んでもらえるととても嬉しかった。

今まで「女の子のランドセルは赤」みたいに勝手に他人に色を与える自分を傲慢に感じていたことにやっと気づいた。遅すぎる。



つい先日、自由に「色ぬり」をしてみた。今読んでいる「HUNTER×HUNTER」のコミックスに混じっている、キャラクターの「色ぬり」ページを元にした。スマホで撮ってiPad Proで塗ったのだけど、色ぬりなら原作に忠実になる必要もないだろうと思ったので(ファンには怒られてしまうかもしれないけれど)自分のイメージだけで描いた。実際かなり違っていた。

(連続ツイートになっていて、それぞれのメイキングビデオもあります。30秒でまとめてあるので、もちろんこの速さではないですが)

同じような「水色」「黄色」「紫」などを使っているように見えるかもしれないけれど、「水色」から別の色を使い、また「水色」を塗る時、前の水色を保存していないので、「今はこの辺の水色かな」という感じで色を選んでいる。

「水色」も同じ色ではないはずだ。それでも色の関係性で見せることができるはずだし、工夫をすれば成立すると思った。この中で、唯一わたしがカラーパレットから拾ったのは「白」だけだっだ。


今朝方、また何時だかわからないけど「音楽を作ろう!」と思ってバッと起き上がった。最近こんな風に「あれをしなきゃ!」と起きることが多い。不眠で説明がつかないとは思うけれど、止められない。

でも今日の作りたい「音楽」は、今は作れないと思った。なぜだかは分からない。数日前、セミの鳴く声や、自分の歌声を加工してsoundcloudにあげてみるところまではなんとかできたから、できると思ったのに。

そして、公開をためらっていたこの文章を書き足して、今これから公開しようとしている。よくわからない。


自分が「女の子のランドセルは赤」みたいなカチッとしたカラーパレットにハマらない人間で、今まで散々な有様で迷走してきたくせに、やっぱり誰かに合わせたカラーパレットをインストールし、場によって使い分けてしまっていた。

なんて浅はかだったんだろう。カラーパレットを作ったのは自分なのに。


今ならわたしは「カラーパレットなぞいらん!」と言えるけれど、それは年齢を重ねたり、良くも悪くも気づいたことが増えたから(カウンセリングを3年以上続けていることはかなり影響していると思う)というだけだと思う。

「女の子のランドセルは赤」という時代に育ったことが苦しかっただけなのか。例えば「たくさんのランドセルが選べる」とか、「外国で育っていたら」…なんて想像するだけなら無限にできるけれど。


今は、自分の色も何もかも、他人の目を気にせず選びたいとは思う。だけどそれが「勇気ある行動」「個性的」みたいになってしまうのは目に見えている。もうインターネットでさえそんな空気を感じる。

それでもわたしは今日もインターネットに逃げ込む。他に居場所はないけれど、居場所を変える力も今のわたしにはないから、仕方ないのだ。

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人生を生き直す長い旅をしています。お返しは何もできないかもしれませんが、旅のおともにいただけたらとてもありがたいです。

きっと生きて会えますように
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Minako Masubuchi / Artist

Artist, JPN / 何が出るかな何が出るかな / 生きづらさの末に精神障害診断 / 4歳くらいからピアノ10年、学生時代は体育と英語が得意、数学ダメだけど証明問題は好き https://instagram.com/minakomasubuchi_jpn
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