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「人間失格」、白兎から逃げてしまった男

「第一の手記」冒頭から、他者を「人間」「人間たち」と呼ぶその文章は、確か遥か昔の学生時代に読んだことがあるが、それでもわたしを飽きさせることは全くなかった。太宰治「人間失格」。


主人公は空腹を感じたことがなく、無理やり食事を詰め込んでいたこと。人から悪く言われると、筆舌に尽くしがたい恐怖を感じるので、口応えをしたことがなかったこと。そうして「人間たち」への恐怖と自己の自信のなさを「道化」としてお茶目な人間に見られるように振る舞うことで過ごしてきた人生。

「いい子」を演じてきてしまったわたしも似たものを感じてしまい、時代も文体も普段とは違い、陰鬱な雰囲気なのにぐいぐい読まされてしまう。


その中で、ひとつ、特に印象的で涙が出てきそうなシーンがあった。

悪友・堀木に訪ねてきた未亡人・シヅ子の家に主人公はなぜか居つき、同棲となったが、そこには5歳の娘のシゲ子がいた。シゲ子は無邪気に主人公を「お父ちゃん」と呼ぶ。そして、ふとこうたずねる。

「お父ちゃん。お祈りをすると、神様が何でも下さるって、ほんとう?」「シゲちゃんは、いったい、神様に何をおねだりしたいの?」
「シゲ子はね、シゲ子の本当のお父ちゃんがほしいの」

シゲ子だけは、と思っていたのに。恐ろしい大人に見えてきて目まいを覚えるほどくらくらし、シゲ子におどおどしながら暮らす日々。

そして主人公はシヅ子の帯やら襦袢やらを内緒で持ち出して質屋に行き、お金を作って銀座で二晩続けて外泊して帰って来たので、申し訳なく、アパートのシヅ子の部屋の前で主人公は親子が会話をしていたのを盗み聞いた。

「なぜ、お酒を飲むの?」
「お父ちゃんはね、お酒を好きで飲んでいるのでは、ないんですよ。あんまりいいひとだから、だから…」
「いいひとは、お酒を飲むの?」
「そうでもないけど、…」
「お父ちゃんは、きっと、びっくりするわね」
「おきらいかも知れない。ほら、ほら、箱から飛び出した」
「セッカチピンチャンみたいね」
「そうねえ」

シヅ子の、しんから幸福そうな低い笑い声が聞えました。

自分が、ドアを細くあけて中を覗いて見ますと、白兎の子でした。ぴょんぴょん部屋中を、はね廻り、親子はそれを追っていました。

「お父ちゃん」を待ちながら、白兎と戯れる和やかな親子の様子が目にうかぶ。ふたりはきっと、とても「お父ちゃん」のことが好きなのだ。

だが、「お父ちゃん」はとんでもないものを見てしまったと、二度とこのアパートに帰らなくなる。

(幸福なんだ、この人たちは。自分という馬鹿者が、この二人のあいだにはいって、いまに二人を滅茶苦茶にするのだ。つつましい幸福。いい親子。幸福を、ああ、もし神様が、自分のような者の祈りでも聞いてくれるなら、いちどだけ、生涯にいちどだけでいい、祈る)


きっと、こわかったのだ、自分が幸福になるということが。他人と幸福になるということが。幸福というものを感じたことがなく、今まで一生懸命他人に道化を暴かれないように生きていた。暴かれた者とは友人になって自分の性質が人間たちにばれないように心を砕いた。そんな主人公が唯一安心して眠れたのは、(人間でも女性でもない、白痴か狂人のように見えた)淫売婦の胸の中だけだったのだから。

きっと、幸せを知らなかった。シヅ子とシゲ子と白兎の姿を見たとき、自分が入ってはいけない、と思ってしまったのだ。

わたしにも、幸せが落ち着かない、という妙な感覚がある。自分は不幸な人間だと根強く思い込んでいるから、急に何かのきっかけで幸せがやってきたり、きっかけができてきても、腰が引けてしまう。特に人間関係はそうだ。仲が良くても、愛し合ってても、いつ壊れるのかと不安になるから最初から手に入れない方がいい。それでも渇望してしまう。


でも、シゲ子が「ほんとうのお父ちゃんが欲しい」と言っていたのは、主人公がほんとうのお父ちゃんになって欲しいということだったのではないか、とわたしは思っている。


そして、何度も何度も、主人公は何かに気づきそうになっては言葉にするのをやめてしまう。堀木に言われたある場面は、とても重要だったと思う。

「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな」

世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし堀木にそう言われて、ふと、

「世間というのは、君じゃないか」

という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。


わたしたちは「世間」「世間」と人の目を気にする。わたしもとても気にしてしまう。だけど世間だって、人なんだ、と目が覚めた思いだった。


太宰治の問題作。この後、彼は奥さん以外の女性と入水自殺を遂げる。文体から溢れる生きづらさを、どうしても忘れることができない。この本に違和感を持つことができる日がきたら、それはもしかしてとても幸せなことなのかもしれない。

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「人間失格」、白兎から逃げてしまった男

Minako Masubuchi / Artist

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Minako Masubuchi / Artist

Artist, JPN / 何が出るかな何が出るかな / 生きづらさの末に精神障害診断 / 4歳くらいからピアノ10年、学生時代は体育と英語が得意、数学ダメだけど証明問題は好き https://instagram.com/minakomasubuchi_jpn
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