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麻痺していた体から気づいた、心の麻痺

先日、眼瞼下垂という症状でまぶたの手術を受けた。お願いした病院は「短時間で治りの早い手術」を売りにしていて、わたしは人生初の手術ながら大して緊張せずに当日を迎えた。

歯医者さんで使われるようなリクライニングシートに腰掛けられるよう言われ、そのようにした。ベッドじゃないんだな〜ああ目元だからこっちの方がやりやすいのかな、なんて呑気なことを考えていた。着々と進められる手術の準備。左腕には血圧を測るバンドが巻かれた。体の右側に点滴が運ばれてきて、「おおこれが点滴か」とまたもや初めての体験に興奮していると、間もなく看護師さんの声かけのもと、右腕に点滴の針が刺された。が、これが顔が歪むほど痛いのだ。

わたしは血中濃度の重要な薬を常用していることなどもあり、採血をすることが多い。注射は慣れっこだった。自分の腕に針が刺さり、注射器に血液が溜まっていくのをいつも興味深く見てしまうので、あるときは看護師さんに「よく凝視できますね…」と驚かれたくらいだ。

これは、思えば小さな頃から変わらない。周囲の友人は、予防注射や採血の注射が嫌で泣き喚いたり、気分が悪くなってしまったりしていた。わたしはそんな友人たちを横目に、さっと注射を済ます自分がかっこいいような気がして、少し自分に酔っていたと思う。

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細かいことはわからないが、採血と点滴では針の太さなど色々違いがあるのだろうか。それでも、わたしは手術での点滴の注射で初めて自分の体に「痛み」をおぼえた。ついでに、まぶたへの麻酔の注射もこれまた痛く、思わず手術台から立ち上がってしまいそうなくらいだった。

すぐに麻酔が効いて手術の時間を過ごす間、わたしは自分の「痛み」の経験に驚いていた。注射って、痛いんだ。

思えば小さい頃にわたしは、泣き喚く友人を横目にすましているつもりで、本当は痛みを封じ込めるように麻痺させていたのかもしれない。これは、小さな頃から「注射得意だよ〜」と言っていた自分の謎のアイデンティティが揺らぐほどの出来事だった。

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わたしはメンタルをはじめ、不調の多い自分の体の対処に追われて、いつしか手当てをさぼるようになっていたように思う。「どうせ大して変わらない」そんな思いと共に、通院や薬をさぼった。アトピーの患部を無意識に掻いていることを人に言われるまで気づかなかったこともあった。

それでも、心だって体の一部だ。脳という大きな臓器に息づく、扱いの難しいもの。そのはたらきで、わたしは元気だったりそうじゃなかったりする。本当は点滴のときの注射のように、心も痛がっていたのかもしれない。傷ついたり、違和感を覚えたりしたことが、一体どれくらいあったのかわからない。それを小さな頃の注射のように麻痺させていたんじゃないか。

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小さな頃、泣き喚いたり先生を困らせていた友人たち。今思うと、その反応はごくごく健康的で、一緒に大人になった今、彼らはきちんと心の痛みも感じられているんじゃないかと勝手に想像を巡ららせた。

体も心も、周囲など様々なものを気にせずに、痛いときに「痛い」と感じられているだろうか。わたしはまだまだ自信がない。でも、気づくことができたから、少しずつ変わっていければと願う。

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人生を生き直す長い旅をしています。お返しは何もできないかもしれませんが、旅のおともにいただけたらとてもありがたいです。

きっと生きて会えますように
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Minako Masubuchi / Artist

Artist, JPN / 何が出るかな何が出るかな / 生きづらさの末に精神障害診断 / 4歳くらいからピアノ10年、学生時代は体育と英語が得意、数学ダメだけど証明問題は好き https://instagram.com/minakomasubuchi_jpn
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